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chapter.1-1

​SIDE:Kyoyu
PLACE:
Wilhelm Corporation本社

時は遡り————同日午前七時三十分。

 

いつもながら憂鬱な気持ちを抱えつつも、PSIBの最上階にある大会議室に向かって廊下を一直線に進む。この日も週に一度の定例会議があり、自分を初めとする各部署の主任らが集まり情報共有や組織としての方針決定などを行うのだ。尤も、自分が主任を務めている執行部は現場での活動を主としており組織経営に大きく関与している訳ではない為、殆ど話を聞くだけに留まるのだが……。

 

「……失礼します。」

防音性に優れているのだろう重厚な扉を開けて室内へ入れば、どうやら”一人”を除いて自分が一番最後だったらしく、一斉にこちらを向いた視線が痛い。そのまま指定の席へと腰掛ければ、程なくして定刻となったようだった。

「……えー、定刻になりましたが、…………局長は?」

そう言ったのは会議進行役を務めている調査部の主任サム・スペードで、次いで、苛立ちを隠せないでいる経理課の課長カミラ・フローレスがスクエア型の眼鏡を押し上げつつ怒気を含んだ声で話すだろう。

「全く、あの方はいつも時間にルーズ過ぎます。予算の稟議書だってこの日までにって言った期日のギリギリを狙っているかのように返してきますし、そのクセ『キミは僕がこうすることを見越して前もって期日を設定しているもんね。だから僕はそれを踏まえて——』とかなんとかふざけたことをペラペラと————」

「カミラ、貴女の言いたいことも分からなくはないが、程々にしておきたまえよ。」

火が付いたように物凄い勢いで話し出した彼女を諫めるように穏やかな声で口を挟んだのは、医務部の主任兼医師長のロベルト・シュナイダーだった。

軽く舌打ちをしたカミラは足を組み直して口を閉ざしたのだが、ここまでの流れはいつものこと。そして、こうして棘のあることを言うカミラにしても、この組織立ち上げの時期から局長と肩を並べていた人物の一人であって、決して彼らが不仲という訳ではないことも知っていた。

 

「議事次第は局長にも予め目を通していただいてますから、先に初めてしまいましょうか。」

進行役のサムがそう言えば皆頷いて、いつも通りの会議が始まった。特別なことは何もなく資料に沿って読み上げがされているだけのようなそれには今一つ集中ができず、目下の様々な悩みのことを悶々と考えてしまったりもするのだが。

「————では、次は経理課からお願いします。」

カミラは角ばった眼鏡の位置を指先で調整しつつ、淡々と話し始めるだろう。こういう所を見ると大きな組織の一課を司る人材として相応しい落ち着きを持っているのだが、どうにも火が付きやすい性質ばかりは苦手だ。

「はい、お手元の議事次第にも記載させていただいた通りですが、今年は“記念セレモニー”が予定されています。予算は既に承認いただいていますが、見ての通り……、莫大な金額が導入されますから、皆さんにはなおの事“気を引き締めて”業務に当たって頂きたいと思います。削減できるコストは極力削っていただき、無駄をなくすように努めてください。」

記念セレモニー。これは遺伝子調整技術が世界的に発表をされてから十年、そしてPSIB設立から十年の節目を記念した催しであり、数か月後に予定されている大がかりなイベントであった。ウィルヘルム・コーポレーションの看板を掲げて世界各国で講演やチャリティーイベントを行う予定であり、その最後にはニューヨークのカーネギー・ホールで現社長ルクレツィア・ウィルヘルム自らがセレモニーを執り行うというものだった。PSIBとしてこのイベントに関わるのは最終日程のみではあるが、それにしたって紙面に書かれている経費だけでも途方もない金額だ。

「————特に、執行部のみなさんには行動を改めて頂きたいと思っておりますが、いかがお考えですか?イイトヨ主任。」

「えっ、」

そんなことを考えていれば唐突に振られた話題に一気に冷や汗が噴き出した。

「わ、我々が何か……。」

「何か、ではありませんよね?先月もそちらの職員が市街の水道管を損傷させたとかで……、まったく、いくら賠償を支払ったと思っているのですか?」

「そ、その節は大変申し訳ございませんでした……。」

「それだけではありませんよね?先々週には街中で派手にPSIを使用して一部民間人を巻き添えに——……いえ、暴動の鎮圧に必要であったという言い分は認めていますよ。しかしですね、物事の一部を切り取って好き勝手に報じる輩を諫めることにも、どれだけの資金を投じ、根回しをしているか……。」

「は、はい。仰ることは尤もです。しかし——」

やはり彼女は火が付きやすい。(いやこちらが放火したようなものかもしれないが。)

そんな風に燃え上がりつつある火種を察してかロベルトが口を開きかけたのだが、丁度その時だった————

 

「ごめんねー、遅くなっちゃった。今ってどこまで進んでいるのかな。」

 

扉が開く音がして皆一同にそちらの方を見れば、そこには遅れてやって来た局長——ギラン・ガイルが立っていた。つい先程までこちらに矛を向けていたカミラは入ってきた人物を見れば一転、今度はギランへと牙をむいたようで。

「局長!あなたはまた無断で遅刻をして——、下の者に示しがつかないとは思わないのですか!」

「ええ……、まあ僕に否があることは認めるよ。でも、僕が居ないと話を進められないようなキミ達じゃないだろう?」

「それはっ、…………そうですが。いえ、あなたはまたそうやって話を有耶無耶にしようとして————」

いきなりの怒声にはグラスの奥で瞳を瞬かせていたようだが、それでも気にした様子なく肩を竦めた彼を見て、ますますと言った様子で眼鏡を光らせた彼女であったが————、

ぱん、

と手のひらを合わせる音がして、波立っていた空気が一気に静まり返ったのだった。

音を鳴らした張本人であるギランはさながら教師のような振る舞いでもう数度手を鳴らせば、薄い笑みを湛えたまま自分の席へと歩みを進めた。手袋越しの籠った音ではあったが、場の空気を切り替えるには十分すぎる音だったようで、カミラに関しても大人しく席に座り直していたのだから効果てきめんなようだ。

どう考えたってギラン自身の行動(遅刻)に非があるのだし今の振る舞いだってものすごく失礼な態度な気はするが、こうして空気を有耶無耶にしてしまえるのは彼の特技というか、相変わらず色々と狡い人だなあと思いながら大人しく静観していた。

「はい、サム。話しを議題に戻してもらって構わないよ。」

「ええ、では、経理課からは以上でよろしいですか。」

「……はい、以上です。」

「では次、医務部から——」

うんうん、と頷きながら自分の席についた局長を眺めていれば徐に視線が交わって、それから彼はわざとらしく自分の胸ポケット辺りを指先で軽く叩いて見せたのだ。

(……?)

意味不明な行動を疑問に思いながら思わず眉を寄せれば、胸元の内ポケットに入れていた端末が振動した。

(————って、なんであの人、私がここにスマホをしまっていることを知ってるんだ!?)

薄気味悪い気持ちになりつつそっと画面を確認してみれば、どうやら彼から社内チャットが来ているようで、その内容に目を通す。

『Hi~。朝からお疲れな飯豊くんへ。後で大事な話があるから部屋に来るように。新愛なる上司より。』

「………………。」

彼が上司でなかったら無視をしたい文面に溜息を溢しつつも、『承知しました。』とだけ返信をした。一難去ってまた一難とは恐らくこのようなことを言うのだろう。

それから普段通りの会議を普段通りに進行して、次の日取りを確認するなどすれば解散となった。

先程のチャットの件もあり席を立ったギランを見れば、色の付いたグラス越しに片目を伏せて「まってるよ」と口の動きだけで伝えてきたのだからそれにもげんなりしつつ、自分も席を立つ。

そのまま局長室へと向かえば、ダークウッドの扉を軽く叩いて声を掛けて。

「……失礼します。」

扉を開けば、彼は執務机に合わせて誂えられているのだろう、質のいい椅子に腰掛けていて——なぜか椅子の背がこちら側に向いていたので表情は窺えなかったのだが、こちらが何かを口にするよりも先に座面がゆっくりと回転する。

 

「————待っていたよ、飯豊くん。」

「……いや、格好を付けないで下さいよ。」

こちらを向いた彼はアームレストに片肘を付き、色付きのグラスを指先でずらせばその隙間からこちらを覗き見るようにしていた。え?これをする為だけに私が来るまでの時間をずっと後ろを見ていたのか?なんて思いが先走ってつい突っ込んでしまったが、彼は上司だ。乗せられてはいけない。

「嫌だなあ飯豊くん。僕くらいにもなると、あえてそうしなくとも格好の方から勝手に付いて来るのさ。」

「はあ……、それで話とは。」

「うん、せっかちだなあ。分かった分かった——」

付き合っていても仕方がないので本題を促せば、彼はへらりとした空気のまま、しかしその瞳には真摯な色を灯して口を開いたのだった。

 

「それじゃあ聞くけど。キミが追っている“クスリ”——、あれの件、一体何処まで掴んでいるのかな。」

薬。その単語を聞いた瞬間、背筋にぞわりとした嫌な気配が走った。

「……一体何のことでしょうか。」

「嫌だなあ、隠すことじゃないだろう。飯豊くん、キミが独自にあの<強化薬>のことを調べていることは知ってるんだ。」

『強化薬』それは主にアンダーグラウンドで出回っているというドラッグのことで、私が“個人的に”調査を進めているものに違いなかった。一体なぜこの男がその事実を知っているのかは分からないが、確信めいた言い方から察するに、具体的な根拠なり証拠なりがあっての言葉なのだろう。

誤魔化しても無駄であることは明白だった。

「仰る通りですが、局長、何故貴方が……。」

「はは、水臭いなあ。僕とキミの仲じゃないか、困った時は協力をし合うのが仲間だろう?」

そう言いながらくるくると椅子の座面を回している彼が一体どこまで真剣なのか分からないが、こういう言い方をする時は決まって『取り引き』の提案なのだ。

 

「キミ一人で掴める情報なんてたかが知れているだろうさ。ほら——、」

そう言って彼は手元の引き出しを引けば、内側から何らかのファイルを取り出しこちらに寄こした。そのまま「先ずは中を見るといい」と促して、言葉のままに確認すれば、そこへ入っていたのは件の薬に対する情報がまとめられた調査資料だったのだ。

ざっと目を通しただけでもこちらが掴めていないような情報が入っていることが確認できて、欲しいものが手に入ったという高揚と共に、これを寄越した男の目的に対する猜疑心が浮かびもするだろう。

「……何故、これを私に?」

「だから言っただろう、キミが一人で頑張っていることは知っていたって。……ほら、偶にはひた向きな部下へプレゼントの一つでもしたくなるものなのさ————……なんてことは無くてだね。うちの“女王様”が憤慨なさっていたから僕の方でも調べてみたんだ。」

要するに薬が本社のルクレツィア・ウィルヘルムの耳へ入ったのだろう、それであれば納得だ。なんと言っても、強化薬とは元々人間の持つ基礎身体能力を大幅に底上げするアッパー系ドラッグの一種だったのだが、つい最近の裏社会においてはPSIの一時的な強化にも応用することが可能であるとの話が回っているらしかった。尤もこの強化と言うのは酷く不安定で、一歩間違えば本人の意図しないPSIの暴走にも繋がりかねないという危険を孕んでいるのだが————、危険を顧みず利益を得たい人種にとってはそんなことどうでも良いのだろう。

 

「彼女は自分の庭を踏み荒らされることが大嫌いだからね。早急に対応するようにとお達しがあったんだ。とは言え僕は僕で忙しいし、前から追っかけていたキミにお願いしたくてね。」

そもそもなぜ自分が以前から調査していたことを知っているのかという疑問は晴れないが、彼に追及をしたとて無意味であることは理解している。今は話を進めることにしよう。

「そのお願いとは、一体……。」

その言葉を待っていましたと言わんばかりに今度は反対の引き出しから何か——一枚の写真を取り出した彼は、伏せたままの写真を机の天板に滑らせてこちらに寄こして。

「調査をしていたらね、件の薬を流通させているだろう組織に接点のある人物が浮かんだんだ。キミに、その人物の監視をお願いしたくてさ。」

 

そう言った彼は、見るといい、と片手で促した。

5.png

「………っ、彼女は、」

嫌な予感がしつつも裏返したそこに映されていたのは見知った人物で、思わず息を呑んだ。

 

「……ま、今の所彼女自身が組織の構成員って訳じゃあなさそうだけど。でも、向こうさんが何処かで尻尾を見せるかもしれないからね。」

「……。」

「何にせよ、しっかり見ておくんだよ。……キミ、そういうの得意だろ?」

 

彼は瞳を細めて、何でもなさそうな様子で微笑んだのだった。

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